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序章 終わりと始まり
「破壊神は、いつか必ず蘇る……」
自らの正義を信じ、戦い抜いた男は、願いかなわず命つきる寸前に、そう呟いた。
「けっ……そうなってたまるかい」
男の言葉を受けたのは少年だった。その答えに、男はもう何も言わなかった。男の信念をもののみごとに否定した少年は、自分がもしかしたらたどるかもしれない運命をも、明確に否定する。
男は瞳を閉じた。もう少年にかける言葉は探せない。羨ましいくらいに前向きなこの少年は、どんな不吉な未来も運命も、すべて否定するだろう……そしてそれを現実にする力さえ、この少年と仲間達にはあるのかもしれない。
大地が振動した。驚いている全員の目の前で、男の体が地の底へと消えた。見守っていた女性が、さよならを呟く。 一連の事件は、そうして終わった。少年を取り囲む状況は、元に戻った……はずだった。
……顔の上半分を被う仮面をつけた男は闇の中、紅い光と向かい合って座っていた。沈黙が長く続く……音が一切ない闇は、深く、重い。
紅い光が、ゆっくりと揺らめいて、男の顔を照らし出す。だが仮面のせいで、いくら紅い光に照らされても、表情は伺えない。
炎かと思われたその光は、もっと硬質的だった。……紅い光を放つ、水晶に酷似した結晶物質。結晶の形が水晶と同じ六角柱であることから、俗に『紅水晶』と呼ばれるているが、実は『水晶』ではない。自ら発光している、非常に珍しい鉱物だ。小指の先ほどでも、庶民なら一生遊べるほどの値が付く。それが、ここにある紅水晶は、人間の子供ほどの大きさがあった。
紅水晶は、闇の中に浮かんでいて、ゆっくりと回転している。その度に光が揺らめいて、陰影が男の顔を奇妙に歪ませる。
やがて、座っている男は唇の端を歪めた。
「……見つけた……見つけたぞ」
誰にともなく呟いた男の喉の奥から、低い笑い声が漏れてくる。
「そうだ……我々は『神』を手に入れる」
静かに男は立ち上がった。踵を返して歩き出す男の背後で、紅い光が何度も揺らめいた。
第一章 闇との邂逅
ザッハの事件から数日後……、キャロット達はステラ教会本部に戻って来ていた。事件が大きかっただけに、マムから一カ月の休養を命じられている。
「まったくお前らよ! 俺が話しかけた時は、完全無視したくせしてよ!」
ステラ教会の裏庭、芝生の上に座り込んで、ぶつぶつと悪態をついているのはキャロットだ。街で遊んでいたところを、ティラ達に引きずられて戻って来たのだ。殴られるわ、しばかれるわで散々な目にあっている。
だが、キャロットにしてみれば、全員に無視された勢いで街に繰り出したのであるし、一方的に殴られては面白くないというものだ。……たとえ、皆に 見付かった場所がちょっとまずい場所であるとは言え。
「あんなとこにいるのが悪いんですわ!」
ティラの声には容赦がない。最初に同情した分だけ、怒りもひとしおなのだ。
「ま、お前に一般人並に悩めって方が無理だったけどな」
「失敬だな君は!」
ガトーの台詞にむっとして、キャロットが明後日の方向に勢い良く顔を向ける。
「すねないでよ、ダーリン♪」
素早くキャロットの側に擦り寄ってきたショコラが、甘えたような声で言う。キャロットががぎょっとして、ささっ……とマロンの背中に退避した。案の定、抱きつこうとしていたショコラが、抱きつきそこねて自分を抱きしめている。
「んもう、ダーリンったら。照れちゃって♪」
「誰がじゃ!!」
「お姉様、いいかげんにしてくださいませ」
むっとした表情で、ティラが抗議している。そのとなりでやはり、マロンがむっとしている。ガトーが可笑しそうに笑いを噛み殺した。
ザッハとの戦いがある前までは、普通にあった日常だ。それが、事件後すっかり失われていたのだが、キャロットをだしにすることでいとも簡単に戻ってくる。
キャロットはこの五人のムードメーカー的な存在だ。普段は意識しないが、こんなことがあると全員がなんとなく気がつく。……もっとも、当の本人はそんなことは全く思っていないだろうが……。
「楽しそうね」
不意に、離れた場所から声が掛かった。五人がはっとして振り返る。
そこに立っていたのは、長いシルバーブロンドの髪をした、一人の女性だった。年齢は十七才くらいか。
「おおっ! 美人!」
思わず目がハートになるキャロットを、姉妹が乱暴に押さえ付ける。
「なんだよ、放せよ!」
「おとなしくしてなさいまし!」
「そうよ、ダーリン!」
どたばたとしている三人を後方に、マロンが女性の方に向き直った。
「貴女は?」
しかし、女性はにこにこと微笑んで、小首を傾げる。
「仲がいいのね、みなさん」
うふふ、と笑いながら、女性が両腕を背中に回す。
「御挨拶に来たの。……あたしはエリカ」
エリカと名乗った女性は、その微笑みを一度も崩すことなく、背中に回していた両腕を前へ振った。
その一瞬に、マロン、ガトー、ティラ、ショコラの表情が変わった。一人きょとんとした顔のキャロットを、姉妹が突き飛ばすようにして自分達も横へ飛ぶ。同時にマロンとガトーも横へ飛んだ。間一髪、五人の後方にあった木の幹に、ナイフが六本規則正しい間隔で突き刺さる。
「何者ですの?!」
体勢を立て直したティラが叫ぶ。まだコートは脱いでいないが、次の攻撃があれば容赦しないだろう。それは、油断なく身構えているキャロットもショコラもガトーも、袖の中で護符を握っているマロンも同じだ。
「あらら、みなさん素早いのね」
「美人がこんな事しちゃ駄目だろ!」
キャロットがちょっとずれた台詞を吐く。その後頭部を殴り付けるつっこみは、どんな状況であろうと姉妹二人とも忘れない。
「何の真似? 返答次第によっちゃ、容赦しないわよ?」
ショコラが視線に殺気をこめる。
「あら、御挨拶よ、御挨拶」
再びエリカがうふふ、と笑った。その手に、先ほどと同じナイフが、また出現する。……どこから取り出したのかも分からないほどの、早業だ。
「貴方達の実力を、拝見させていただくわ」
妖艶な、笑み。次の瞬間、次々にナイフが五人目掛けて放たれる。
「きゃあっ!」
「ちっ……」
五人が素早くそのナイフを避けていく。ティラとショコラが、コートと服を一気に脱ぎ去った。……敵の正体は良くわからないが、降り掛かる火の粉は払わねばならない。
「はっ!」
ショコラが針金を放つ。同時に、笑みを崩さずにエリカはナイフを放った。
カシイィィィン! と高い音をたてて、空中で針金とナイフが激突し、お互いが弾かれて軌道がずれた。信じられないという表情のショコラを他所に、エリカが間髪入れずにナイフを新たに放つ。
「どこに何本持ってるんだ?!」
キャロットが至極当然の疑問を発するが、誰もそれに答える余裕はない。
マロンが護符を放つ。一瞬にして護符が真紅の霊鳥に変化する。だがその朱雀さえも、エリカがたて続けに放ったナイフに穴をうがたれ、粉々になってしまった。
「何っ?!」
マロンが驚いて、思わず呟く。
「まさか、マロンの朱雀まで……!!」
その事実が、五人に戦慄となって走った瞬間、新たなナイフの波が五人を襲う。
「危ないっ!」
「うわああっ」
ナイフの攻撃に、五人が五人とも一瞬気を取られる。その瞬間、エリカが視界から消えた。全員がはっとした時、楽しそうな笑い声が響く。
「ゲームオーバーね」
エリカの声に、全員が愕然とした。
「ダーリン!」
「キャロ!」
「兄さんっ!」
「キャロット!」
四人の声が錯綜する。……エリカはキャロットの側にいた。その手にしたナイフが、キャロットの喉元に突き付けられている。
「冗談はやめようね、刺さると痛いからね」
冷汗混じりのキャロットの台詞に、エリカは微笑みを返しただけだ。
「キャロから離れなさい!」
ティラが叫んだ。だが、動くに動けない。それは他の三人も同じだ。
「どうしようかしら? ……ここで殺しちゃおうかな」
くすくすと、エリカの声は楽しげだ。『殺しちゃおうか』の一言に、四人の視線にこれまで以上の殺気がこもる。
その時だった……何かがエリカのナイフを弾いたのは。
「きゃあっ!」
パシッ! と音がしたのは、弾いたのがナイフそのものではなく、エリカの手だったからだろう。だが、キャロットに突き付けられていたナイフは、それで弾かれて地面を滑った。その瞬間を逃さず、ティラとショコラが鞭と針金を飛ばす。……一度でもキャロットに牙をむいた人間を、許す気は毛頭ない。
「ちっ……」
エリカの表情から、初めて笑みが消えた。軽く地を蹴り、素早く後方へと飛ぶ。しかし、飛びながらも新たなナイフを飛ばすことを忘れない。そのせいで追撃の手が一瞬止まる。そしてその一瞬を、見逃す人間ではなかった。
「御挨拶だけの予定だったんだから、ここで失礼するわ。いずれまた」
着地したエリカがそれだけ言うと、極上の笑みを残して高く飛んだ。ステラ教会の塀を一気に飛び越える。
「待ちなさい!」
姉妹が後を追った。だが、塀を越えたところでエリカの姿は消えてしまっていた。
「何者なの……?」
舌打ちして、ショコラが呟く。ティラは首を振った。
一方、庭の方では、マロンがエリカのナイフを弾いたものを拾い上げていた。……白い羽根だ。ここの関係者で羽根を使う人間は、知る限りでは一人だけだ。
「大丈夫?」
案の定、ミルフィーが木の陰から姿を見せる。いつもの日向の微笑みに、全員が緊張を解いた。
「助かったぜ、ミルフィー!」
素直に礼を述べるキャロットに、ミルフィーがにこにこと笑った。
「みんな、あの女の子に心当りは?」
「全然ねえな……マロンは?」
「いや……」
ガトーの問いに、マロンが首を振る。そこへ調度良く、ティラとショコラが戻ってくる。
「ミルフィーだったんですのね! 助かりましたわ」
すでに二人は何時もの姿に戻っていた。
「二人とも大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。でもあの女、逃がしちゃったわ! ダーリンにナイフを向けるなんて、絶対許さないんだから!」
「まあまあ、落ち着いて……。それにしても、ステラ教会本部の敷地に忍び込むなんて、只者じゃないわね」
不意に、ミルフィーの表情が厳しくなる。誰もその事実に反論しなかった。……法族狩りの本拠地とも言える場所に、たった一人で乗り込んでくるとは。
「なんにしろ……また来るみたいなこと言ってたからな。……その時は容赦なしだぜ」
ガトーがそう言って、指の関節を鳴らした。四人が無言で頷き、ミルフィーが小さく微笑む。
「じゃあ、あたしはマムに報告するわね」
「悪いな、ミルフィー」
「なに愁傷な口きいてるのよ、キャロちゃん?貴方のためなら何でもするわよ
」
何時もながらの早業で、ミルフィーがキャロットに抱き付く。瞬間、ティラ・ショコラ・マロンの表情が強張った。
「ぎゃーっ! よせ!」
キャロットが慌ててミルフィーを引き離す。
「つれないわねえ」
ミルフィーはもう一度笑うと、手を振りながらその場を去った。全員が脱力の溜め息をつきながら、先ほどの出来事を回想する。
女は、エリカと名乗った。凄じいまでのナイフ使い。……わかっているのはそれだけだ。
「あんなに美人なのになあ……おしいよなあ」
思わず回想の途中で呟いているのは、キャロットだ。
「なにが……」
「おしいんですって……?」
背後からの不穏な雰囲気と声に、キャロットがぎくりとなる。マロンとガトーが溜め息を付いた瞬間、キャロットを百トンハンマーが直撃したのだった。口は災いの元……。
「遊びが過ぎるわ、エリカ」
「だって姉様、ニーク様が言っていた相手が、どんな奴だか知りたかったんですもの」
……ある宿屋の一室で、先ほど五人と戦っていたエリカは、二人の女性と向かい合っていた。一人は、今エリカをたしなめた女性。エリカよりは二・三才年上だろうか。セミロングの金髪を、奇麗なポニーテールにまとめている。
そしてもう一人は、逆にエリカよりは二・三才年下。くるくるとした癖っ毛は、エリカより遥かに銀に近い。
「リリー姉様、エリカ姉様、あたしの出番はあるの?」
癖っ毛の女の子が、無邪気な口調で尋ねる。
「もちろんよ、リラ。……貴方の力は絶対に必要だわ」
答えたのは、ポニーテールの女性。彼女はリリーという名前らしい。癖っ毛の女の子の方はリラだ。姉妹というには顔が違いすぎるので、血はつながっていないのだろう。
「とにかく、不用意な行動は慎んでもらうわ。……計画は、もっと慎重に進めねば……」
「はいはい。姉様はお堅いんだから」
「ニーク様のためよ」
「はいはい」
エリカは溜め息と共に、肩をすくめた。……姉ほど、この『計画』に熱心ではなさそうだった。
「リリー姉様、今度の『計画』は、殺してもいいの?」
不意に、リラが口を挟んだ。ぎくりとした表情で、エリカが振り返る。だが、リリーの方は何ら表情を変えない。
「いいえ、リラ。今回は殺しちゃ駄目よ。……その代り、次の『計画』ではたくさん殺していいわ」
「ふーん、今回は駄目なの。……つまんないのー」
呟きながら、リラが花瓶の薔薇を一本抜いた。真紅の薔薇……この宿の人間が生けたのだろう。リラの指が、その薔薇の首をぽきりと音をたてて折った。そして、くすくすと笑う。
リリーは無表情のまま、その光景を眺めている。逆にエリカは、嫌なものを見たような表情で、顔を背けてしまった。リラはお構いなく、もぎ取った薔薇の花びらを、更にばらばらにむしりだす。
床に広がった花びらは、滴り落ちた血のようにも見えた。
時間は多少の不穏さを残したまま過ぎていく。ステラ教会本部に潜入し、『挨拶』と称して攻撃してきた女の存在は、警戒の対象にはなりながらも、これといって対策のないままであった。もちろん、ステラ教会の情報網が彼女を探索していたが、膝元の帝都であるにも係わらず、その足取りは以前として不明である。マムから『十分注意するように』とのお達しはあったが、特に義務付けられたこともなく、五人はそれなりの休日を過ごしていた。
そして、休日を過ごすと言えば、お約束はこれである。
「オネーチャン! 俺と遊ばなーい?」
危機感の欠片もない……キャロットだ。もちろん、お約束といえばくっついてくるものもある。
「キャロット! いいかげんになさいまし!」
「ダーリンっ! 浮気は許さないわよっ!」
何時も通りの台詞を叫びながら、姉妹がキャロットを追い掛けている。追跡は表通りから、人気のほとんどない裏通りへと続く。
「しょーがねえな、あの三人は……」
その様子を後方から眺めながら、ガトーが呟いた。……前は『しょーがねえな、キャロットは……』という台詞だったのだが、いつのまにかティラとショコラも混ぜられてしまった。隣で聞いていたマロンが、ふう……と苦笑いしながら溜め息を付く。
「捕まえたっ!」
とうとう、ショコラがキャロットを捕まえた。ティラも加わり、地面に押さえ付けて上から乗る。
「重い! 乗るな!」
「レディに対して、重いとは何事ですか! 失礼ですわよ」
「レディ? 誰が?」
レディってのは、もっとお淑やかなものだぜ、とキャロットが呟きかけるが、姉妹ににらまれて断念した。
「ダーリンったら、この前のこともあるんだから、少しはおとなしくしててよ」
「そうですわ」
もっともなことを言いながら、姉妹がロープを用意している。
「お前ら! たて前と本音が違わないか?!」
「あら、そんなことないですわ」
「ええい、放せってば! マロン! ガトー!見てないで助けろよ!」
思わず助け船を呼んでしまうキャロットだが、呼ばれた船はこなかった。
「その方が、兄さんのためだと思うよ」
「俺にゃ、関係ないな」
「冷たいぞお前らーっ!」
キャロットがじたばたと暴れる。が、二人がかりで押さえ込まれているのでちっとも逃げられない。
だがしばらくして、姉妹の動きが止まる。急な事に、逆にキャロットが気になって顔を上げた。
「……!」
姉妹の視線の先、マロンとガトーの視線の先……そこに、一人の女性が立っていた。あの日、エリカと名乗って五人に攻撃してきた、あの女性だ。
「仲がいいのね、本当に」
「貴女! 何が目的なんですの?!」
「うふふ……さあね」
エリカの両手に、ナイフが光る。全員が瞬時に戦闘体勢を調えた。……エリカの実力は分かっている。油断すればただではすまない。 ティラとショコラがコートと服を脱ぎ捨てた。間髪入れず、ショコラが針金を放つ。ほぼ同時にエリカがナイフを放った。ショコラの針金を弾き、地面に叩き落とす。
「慌てないでよ。……今日は、貴方達の相手をするのは、私じゃないのよ」
「何ですって?!」
叫び返しながら、ティラが、そして全員がはっとする。五人を囲むように、女性が二人姿を現わした。
「誰?!」
「初めまして、みなさん……私はリリー」
「あたしはリラ」
二人がそれぞれ名を名乗る。
「何者なの、あんた達……?」
「……私達は、レボス様にお仕えしている戦巫女……」
「レボス……?」
マロンが訝しげに聞き返したが、三人とも答えることはなかった。
「リラ、手早く済ませなさい」
リリーがリラに命じる。リラは掌サイズの瓶を取り出した。……中には、水色の粉が詰まっている。五人それぞれが、その瓶に『危険』を感知する。
「白虎!」
マロンが護符を放った。純白の、雷をまとった虎が、リラ目掛けて大地を蹴る。が、それはエリカのナイフに阻まれた。
「急ぎなさい」
リリーが歌うように言いながら、右手を頭上に掲げた。人差し指だけをぴんと伸ばす。
「雷よ!」
その瞬間、何の前触れもなく稲妻が、キャロット達とリリー達の間に落ちる。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
衝撃と発光が、五人の攻撃を阻む。同時にリラが、瓶の蓋を取った。
「風よ!」
今度叫んだのは、リラだった。急激な暴風が、五人を翻弄する。その風の中、リラが瓶の中味を空中に放ったのを、マロンが目撃する。
「みんな! 息を止めるんだ……!」
叫んだが、その声が風に飛ばされて聞こえない。
「馬鹿ね! 呼吸を止めても無駄よ! これは皮膚から体を蝕むのよ!」
リラが高笑いしながら叫ぶ。……人を傷付けることを心底楽しむ瞳だった。
「いけない……!」
眩を覚えながら、マロンが呟く。……しかし、リラの放った薬に対抗する手段を思い付かないまま、先に膝が地面に落ちた。……そして風が止む。
眩と、しびれ……体に力が入らない。それは他の四人も同様だった。それでも必死に体をささえ、リラ達を睨み付ける。
「あら……、まだそんな元気があるなんて。凄いわね、貴方達!」
リラが言うが、その声は嘲笑に近い。
「リリー姉様、『どれ』が『そう』なの?」
「……この人よ」
リラの問いに、リリーが指し示したのは……。
「兄……さん?!」
マロンが愕然とした声を出す。リラがキャロットの右手を持ち上げる。そのままキャロットを見下ろして、くすくすと笑った。
「お前ら……、俺に何の用……だよ」
地面に仰向けに転がって動けないが、強がるような口調でキャロットが尋ねる。リラが唇に笑みを貼り付けたまま、キャロットの側に屈み込んだ。
「ダーリンから……、離れなさいっ!」
ショコラが体を起こそうとして、唇を噛み締めた。だが、抜けた力が戻ってこない。
「リリーお姉様、この人以外は用済みでしょ?殺しちゃっていい?」
リラが実に楽しそうにリリーの方へ視線を走らせる。聞いていたキャロットが目を見開いた。
「てっめえ……! マロン達に手ぇ出しやがったら、舌噛んで死んでやるっ」
薬などを使うからには、彼女達が狙っているのは自分の 『命』ではなく、自分の存在そのもの。……そう考えての、はったりに近い台詞だった。だが、それは考えた通りの効果を彼女達にもたらした。
「リラ、やめなさ。本当にやりかねないわ……それに時間もない」
「つまんないのー」
リラがつまらなそうに呟きながら、ポケットから掌台の水晶球を取り出した。掴んでいたキャロットの右手に握らせる。パシュッ……!と音がして、霧のようなものが吹き出し、キャロットを包み込んだ。その一瞬後、キャロットの姿が消えてしまう。
「兄さんっ!!」
「キャロ!!」
「……! ダーリン!」
「キャロット!」
四人は見た。キャロットの姿が消えて、リラの手にした水晶球に、その球の中に、キャロットの姿が移っているのを。 以前、宝石魔術師によって、キャロットが宝石の中に閉じ込められたことがある。あの状態と良く似ていた。
「また邪魔が入らないうちに、行くわよ」
それまで黙っていたエリカが、呟くように言った。リラが立ち上がる。
「ま、待てっ……!」
「待ちなさい……!」
四人がそれぞれ、立ち上がろうとする。……このままでは、キャロットが連れていかれてしまう。自分達の目の前から連れていかれるなど、こんな口惜しいことはない。
半身を起こしたところで、マロンが護符を構えた。魔術ならまだ、ほとんど動けなくても使える。
「リリー姉様!」
気付いたのはリラだった。先に歩き出しかけていたリリーとエリカが振り向き、それとほとんど同時にエリカがナイフを放つ。
「うあっ……!」
細身のナイフが、マロンの右掌に突き刺さる。鮮血が散り、マロンが護符を取り落としてしまう。
「マロン! この……!」
ガトーが無理矢理立ち上がった。体のしびれと眩は取れておらず、気力との勝負だ。
「まさか?!」
リリーとエリカが、信じられないという顔をする。……リラの薬を受けて、立ち上がった人間を見たのは初めてだったのだろう。
その動揺が、リラにも伝染した。リラが右手を横一文字に振る。その瞬間、急に風が吹く。たくさんの、真っ白な細かい花びらが風に舞った。
「うわ……っ」
四人の視界を、花びらが覆いつくす。……次に視界を回復した時には、三人の姿はすでになかった。
「そんな……っ!」
ティラが愕然とした表情をする隣で、ショコラが唇を噛み締めている……きつく噛み締めすぎた唇が、血を滴らせた。「……」
マロンは呆然自失していた。掌から広がる血にも、意識が向いていない。ガトーも、三人が消えた場所を睨みつけながら舌打ちする。
「取り返すわ……絶対に!」
ショコラが血の滴る唇で呟いた。誰も答えはしなかったが、他の三人も全く同じ気持ちだった。……絶対に、あの三人の正体と居場所を突き止めて、キャロットを取り戻す。たとえ、地の果てまででも行ってみせる……!
……闇が……、すべてを押し潰すような重い闇が、四人を包み込もうとしていた。
「……そうか」
闇の中……、仮面の男は紅水晶と向かい合っていた。その唇に、あからさまな笑みが浮かぶ。
「手に入れたか……我等が『神』を」
リィィン……と突然、水晶が鳴った。赤い光の揺らめきが激しくなる。
「……混乱と破壊が……やってくる……」
男が喉の奥で笑う。……仮面の奥の瞳に、狂喜のような光が踊っていた。
第二章 オースト教団
キャロットを拉致されたその日の夜、マロン達は旅立ちの準備をしていた。まだどこへ行ったらいいのかもわからないが、情報が飛び込んでくればすぐに旅立てるようにと、マムが指示したものだった。
それでも、普段から軽装で旅をすることに慣れている四人である。たいしてすることはなく、あとはじりじりと情報を待つばかりとなった。
帝都ファザードの、いやファミル帝国全土に広がるステラ教会の情報網が、キャロットを拉致した三人を捜していた。
「あら、ガトーちゃん」
廊下を歩いていたミルフィーが、ガトーと擦れ違う。タオルを首に掛けているところからして、外で汗を流してきたらしい。
「皆は?」
「ああ……、部屋にいるみたいだぜ」
答えたガトーの声が、ほんのかすかに沈んでいる。
「皆、落ち着いたかしらね」
「マロンの様子を見てきた方がいいかもな」
ティラとショコラは、一応二人だ。二人でいることはそれだけで力になる……辛い事実を受け止める力に。だが……、マロンは今一人だった。何時も一緒にいたもう一人が、今はいない。そしてそれは、他の誰にも代れない一人だった。
「わかったわ、顔出してみるわね」
それで少しでも、マロンが楽になればいい。ガトーはそう思って頷いた。そのまま、逆の方向へと別れて歩き出す。
「そうそう、ガトーちゃん」
「なんだ?」
呼び止められて、ガトーがもう一度振り返る。
「動いてないと落ち着かないのはわかるけど、ほどほどにね」
「……」
かなわんな……と、ガトーは苦笑して前髪をかき回した。ガトーにしてみれば日課のつもりではあったのだが、こんな時に日課に拘わるのも、そういう事なのかもしれない。
部屋のドアをノックすると、ややあってマロンがドアを開けた。少し憔悴した様子に、ミルフィーが内心眉を寄せる。
「ミルフィー……何か手懸かりが?」
「ううん……マロンちゃんの事が気になってね」
「……すいません」
どうぞ、とマロンがミルフィーを中へ入れた。その右手に巻かれた包帯を、ミルフィーが目に止める。
「右手、治療しておかなかったの? 血が出てるわよ?」
「あ……ええ」
言われてマロンが、自分の右手を見た。……傷口が少し開いたのか、赤い血がにじみ出している。
「包帯巻き直して上げるから、持ってらっしゃい」
「……はい」
ためらいがちにマロンが返事をする。
もう一度血止めをして、包帯を巻き直す。その間、しばらく二人は無言だったが、やがてミルフィーが口を開く。
「……戒めにほっぽらかしておくのもいいけどね。……手当てはちゃんとしておかないと」
「え……」
マロンがはっとした。思わずミルフィーの顔をじっと見てしまう。優しい瞳が、『そうでしょ?』と悪戯っぽく微笑む。
「自分を責めるのも、後悔するのも別に悪いとは言わないわ。……でもね、前を向く力を失うのは駄目よ」
「……」
自分の目の前から、一番大切な人を連れ去られたという衝撃は、並大抵のものではない。……あの時、自分にもっと力があったなら、こんな事にはならなかったものを……。そう思う度、マロンは傷付いた右手を苛めるように、強く握りしめてしまう。
「……ずっと……考えていたんです。なんでいつも、兄さんなのかなって……」
「……」
「なんでいつも、兄さんだけが辛かったり苦しかったりするんだろうって……」
人一倍優しい心は傷付きやすい。なのにいつも、辛いこと悲しいこと苦しいことは、キャロットを狙ったように訪れている。
ザッハの時もそうだった。自分が世界を滅ぼす力を持っていると知った時、変わらない態度の奥で、キャロットが心を痛めていたのをマロンは知っている。自分が生きていたらやばいんじゃないか、と。
「そうね……でも、それでもキャロは前向きな選択をしたわよね?」
マロンは一度顔を上げ、そしてゆっくりと頷いた。
キャロットは負けなかった。辛いことにも、苦しいことにも。ザッハの時でさえ、『プラチナストーンを破壊して、ザッハを倒す!』と宣言した。運命から逃げようとしたことは一度もない。……そう、子供の頃に『運命から逃げるのはかっこ悪い』と言った、言葉そのままに。
常に前向きでいることの強さ。それはキャロットにしかないものだ。……小さい頃から、マロンが憧れてやまないもの。
「マロンちゃんも、前向きに考えなきゃ」
「え……?」
「怪我は直しておかないといけないわ。心も体も、準備はぬかりなく。……そうしなければ、助けられるものも助けられないのよ?」
「……!」
いつ、どんな時に何があっても、すぐに飛び出せるように、走り出せるように、戦えるように。……それは大事なことだ。怪我をしたままの右手では、闇に引き込まれそうになっている人間を、救い上げることはできない。うつむいたままでは、小さな光を見落とすだろう。
「そうですね……」
マロンがやっと、小さく笑う。
「大丈夫よ。キャロちゃんは運がいいもの」
「はい」
「少し、休んだ方がいいわよ。何かあったら起こしてあげるから」
ミルフィーがそう言いながら立ち上がる。
「ありがとう……」
「どういたしまして 」
微笑むマロンに手を振って、ミルフィーが部屋を出ていく。 ミルフィーが巻いてくれた包帯を、マロンが見下ろした。傷が開かない程度に軽く握り、胸のところに押し当てる。
ようやく浮上してきた自分の心、強い決意を確かめるように。
「あっ、ミルフィーじゃない!」
「マロンちゃんに会って来たんですのね? どんな様子だったでしょうか」
ミルフィーはマロンの部屋から出た途端、今度はティラとショコラに遭遇した。二人とも手に手に箱を持っている。「どうしたの、二人とも?」
「……じっとしていると落ち込んじゃうから、二人でサンドイッチをたくさん作ったの」
「きっとマロンちゃん、私達よりも落ち込んでると思ったんですの。……ですから、一緒に食べようと思いまして」
「あら、いいわね♪」
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