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夜の足音を間近に聞く時間・・・カーテンを閉めたマロンは、その足で寝室へと向かった。静かにドアを開け、中に入る。左のベッドに近づくと、寝ている人物の口から体温計を取った。
「大分、下がったね」
目盛りを確かめて言うと、ベッドの中の人物・・・キャロットが、額に乗せていたタオルを外した。
「もう駄目これ」
「はいはい」
くすっ、と微笑むとマロンはタオルを受け取り、ベッドサイドテーブルの上に置いておいた洗面器でもう一度冷やす。水に入れられている氷が、からからと音を立てた。
「何か、食べたいものある?」
「・・・んと、りんごとバナナとキウィ・パパイヤ・マンゴー・・・」
「・・・本当に具合悪いの?」
「・・・りんごだけでいい」
ちぇっ、と言う感じで、キャロットが布団の中に潜り込んだ。額から落ちるタオルを、もう一度マロンが額に乗せる。
風邪をひいたと、キャロットが言い出したのは二日前だった。段々症状が進んで、とうとう昨日には熱が四十度を超えたのだが、「食欲がない」とは、一度も言わないキャロットである。
一度出ていったマロンが、再びりんごを持って戻ってくる。ベッドのわきの椅子に腰掛けて、いざ皮を剥こうとすると、キャロットが止めた。
「ちょい待ち・・・うさぎに剥いてくれ」
「・・・うさぎ・・・?」
「いいのっ」
照れたような、すねたような顔をして、キャロットが布団を目の辺りまで引き上げる。
言われた通りにうさぎに剥きながら、ふとマロンは昔の事を思い出した。
小さい頃、ねつをだしてむずがったマロンに、アプリコットがりんごをうさぎに剥いて、あやしてくれた事があったのだ。それをキャロットは横で見ていた。「早く良くなれよ」とだけ言って笑っていたが、病気らしい病気をした事がなかったキャロットは、もしかして・・・羨ましかったのかもしれない。
そう思うとほんの少し、胸の奥が痛んだ。キャロットは母親に甘えるのが下手だった。その分、自分一人でアプリコットに甘えていたような気がしたのだ。
「剥けたよ」
むきおわって声をかけると、キャロとが布団から顔を出した。・・・見事なうさぎりんごである。起き上がらないうちに口元まで持って行ってやると、キャロットは照れたような顔をしながらも、おとなしく口を開ける。かし、かしかし・・・とりんごを噛む音が聞こえた。・・・静かな夜なのだ。
「もういっコ」
「はい、はい」
かし、かしかし。
「もいっコ」
「はい」
かしかしかし。
しばらくその繰り返しをしていた二人は、不意のノックの音に顔を上げた。隣の部屋だ。
「開いてるよ」
言いながら、マロンが寝室から出る。ほぼ同時にリビングのドアが開き、ティラが入ってくる。
「あ、マロンちゃん。キャロの具合はどうですの?」
「随分熱は下がったよ」
笑顔のマロンの答えに、ティラは少し安心したように微笑んだ。
「あの、ビッグ・マムがお呼びですの・・・急ぎの仕事みたいですわ」
「仕事・・・?」
マロンが珍しく、仕事と聞いて眉を寄せた。ティラも困ったような顔をする。
仕事となれば、三日四日は平気で旅に出なくてはならない。キャロットの今の状態ではそれは無理だ。その上、ガトーとショコラは別の仕事に出かけている。もちろん二人でも仕事は出来るが、マロンにはキャロットを残して行く方が心配だった。・・・ドーターあたりは、頼めばキャロットの看病を引き受けてくれるだろうが・・・。
「わかった、とにかく行くよ。先に行ってて」
「わかりましたわ」
ティラが出ていってしまうと、マロンはもう一度寝室に戻った。
「仕事か?」
「まだわからないけどね・・・多分」
「・・・すまねぇな、俺がこんなで・・・」
キャロットにしては珍しく、愁傷に謝っている。ここ三日ほど、マロンに世話してもらいっぱなしだったので、ちょっと悪いなぁ・・・と思っているのだ。
「とにかく、行ってみるね。もし仕事だったら、兄さんの事はドーターにでも頼んでみるから」
「ドーターか!看護婦さんの格好してくれないかなぁ」
久しぶりにキャロットが、でれっとした顔をした。元気になってきた証拠なので、マロンはかえって微笑ましかった。
案の定、マムは仕事の依頼をマロン達に与えた。デリカという町で、暴動を起こした庶民が見せしめに殺されるという。その前に、何としてもその法族を仕置きして欲しいというのである。かなりの急ぎの仕事だった。
「わかりました、マム」
素直に答えながら、マロンは別の事を考えている。
肝心の、ドーターの姿が見えないのだ。マムに尋ねると、用事があってに・三日外出しているとの事だった。
「マロン・・・心配事がありますね」
マムが聖母の微笑みで尋ねる。マロンは仕事を嫌だとはいわないだろう。だが、それでも兄の事に気を取られているマロンの事を、マムは良く分っていた。そして、その心配事が、かなりの確立で仕事に影響する事も。
「そうですね・・・」
考え考え、マロンは口を開いた。
「仕事じゃなかったのか」
寝室に入ってきたマロンを見て、ベッドの中からキャロットが尋ねる。
「うん、別の人が担当になったよ」
にっこりと微笑んでマロンが答え、ベッドの側の椅子に座った。
「はい、これ・・・僕が作った薬。良く効くから、飲んで」
マロンの手に、小さな盃がある。
「またいつもみたいに、苦いんだろ〜?やだなぁ・・・」
あからさまにキャロットが嫌そうな顔をする。マロンが自分で調合する東方の薬は、良く効くし、副作用なんかも全然なくていいのだが、とにかく苦いのだ。キャロットは嫌々ながらも、ここ数日就寝前に飲まされている。
マロンがくすくすと笑った。キャロットが体を起こし、盃を受け取って、一気に飲んだ。嫌な事はさっさと済ませるに限る。
だが、飲んでしまってからキャロットが、びっくりしたような顔をした。
「すっげー甘い!なんでだ?」
「いつもと別の成分が入っているからね」
蜂蜜が入っているみたいな甘さだった。ほんわかとした気分になる。こんな薬なら、嫌いじゃない。
「もう一回、熱計ろうか」
「ああ・・・うん」
頷いてキャロットが体温計を取り上げようとすると、その手をマロンが押し止め、額に掌を乗せる。
「?マロン・・・?」
「まだ・・・少しあるね」
マロンが呟く。しかし、キャロットの方は少し驚いていた。前髪を掻きあげたマロンの手が、驚くほどに冷たい。
「お前・・・手、冷てぇぞ」
「そう?」
キャロットの頬に触れた手は氷のようだった。普段なら冷たくて体を縮めただろうが、今は熱があるのでかえって気持ちいい。
「冷たくて、気持ちいいでしょ?」
見透かしたようにマロンが、微笑みながら言う。冷たい手が、キャロットの頬から、首筋へと滑る。
「マロン・・・?」
「・・・手だけじゃないんだよ、僕が冷たいのは・・・」
「はあっ?」
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