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真夜中……、キャロットがふと目を覚ますと、隣のベッドからマロンの姿が消えていた。
「……?」
トイレにでも行ったのかな……と思いながらも、妙に気になった。しばらく蒲団の中で、部屋の中と外の音を聞いていたが、マロンの気配が感じられないことを知って、キャロットも起き上がる。
マロンのベッドは冷えきっていた。出ていったばかりではないらしい。
「何処行ってんだよ……」
呟いて、キャロットがカーテンを開けた。青白い月の光が、さあっ……と部屋に差し込んでくる。 空に浮かんでいるのは、ナイフのように細い月。
「……」
窓からうかがう限りでは、マロンの姿を見つけることはできなかった。小さく溜め息を吐いて、キャロットは靴を履く。
放っておいても、マロンは子供ではないのだから、別に心配することはない。比較的治安のいい帝都ファザードであるのだし、ましてここはステラ教会敷地内の寮なのだ。
……だが、別の理由でキャロットはマロンの姿を探していた。確かにマロンは強い。キャロットは誰よりその強さを知っているし、信じている。……しかし同時に、キャロットはマロンの弱さも知っているつもりだった。
救いたい人を救えないこと。助けられるはずだった人を助けられないこと。繰り返される戦いの中で、救い上げようと掴んだ手が、擦り抜けていってしまう事はよくあることだ。
……運命、と言ってしまえばそれまで。しかしそれを、『運命』のたった一言で片づけてしまえない人間だっているのだ。キャロットにしても、心の中の傷は一つや二つではない。……そういう意味では、この兄弟はよく似ていた。
月の硬い光に、空気が鋭く冷たい。建物の中と外、あちこちを見て歩き、半時ほどたってからキャロットは、やっとマロンの姿を見つけた。
教会の中庭、たった一本だけ植えられている桜の木の下に、マロンはひっそりと佇んでいた。
夜の闇に、まるでぼおっと光を放っているような満開の桜。幻想的といえばそうかもしれない。だが、その下に立っているマロンの背中が、急に儚く思えて、キャロットは思わずマロンの名を呼んだ。
「マロン!」
キャロットの声に、マロンが振り返る。
「兄さん……?」
「なにやってんだよ、マロン!」
マロンのほうは、突然現れたキャロットに驚いていた。キャロットが決して急がない足取りで、マロンに近づいていく。
「兄さんこそ、どうしてここへ……?」
マロンが尋ねると、逆にキャロットは照れたような表情をした。素直に『マロンが心配だったから』と言えばいいのだが、そんなことは照れくさくて言えない。
「……月が青くて、奇麗だったから」
照れくさがった上に、もっと照れくさい台詞を吐いてしまうキャロットであった。それで真赤になっていれば世話はない。
「……じゃあ、遠回りして帰ろうか」
マロンがくすくすと笑いながら言う。……『遠回り』は、『月が青い』と誰かが言えば必ず続けて言われる、合い言葉みたいなものだ。
「しょーがねえな、ちっとだけだぞ」
キャロットが照れまくった顔で言って、くるりと背を向けて歩き出した。……その後にマロンが続く。 しばらくの間、二人は無言で教会の庭を歩いていた。
世界が静かだ。秋の間ずっと、夜の世界を支配していた虫の声はない。冬の間ずっと、窓の外で我が物顔をしていた木枯らしも、今はない。ただただ静かで奇麗な、春の夜。月の光に照らし出された世界の、青紫がとても濃い。昼間咲き誇っている花々も、今は息をひそめているようだった。
「花の香は、夜の間のほうが強いね」
「そうか?」
教会の庭は、専門の庭師が総て世話している。かなりの広さがあるので、その気があれば何時間でも平気で散歩ができる。一部が森になっているほどなのだ。
「そう言えば、この辺まで来たこと、あんまりないね」
「ああ、そうだな」
「噴水があるよ」
「……変な会話だな! 俺達、ここに住んでるのにさ」
「……そうだね」
くすくすと、マロンが笑った。ここに住んでいるはずなのだが、知らないことが多すぎる。
庭の噴水は、少し背の高い生け垣にぐるりと囲まれる作りをしていた。生け垣で迷路が作ってあるのかもしれない。じっくり歩き回る気がなければ、なかなか見つからないだろう。白い石を磨いて作られた噴水で、奇麗な丸い形をしている。中央に白鳥のオブジェがあり、そこから水が湧き出していた。
「おおっ、冷てえ!」
噴水の水に手を突っ込んだキャロットが、何故か嬉しそうな顔をする。
「あんまり深くねえんだな……飲めるかな?」
「……さあ」
「まあいいや!」
服で濡れた手を拭って、キャロットが噴水の脇に腰をかけた。結構幅がある。石の感触が冷たい。
「夏にここで昼寝したら、気持ち良さそうだな」
「休みをもらったら、やってみたら?」
「そんな暇あったら、ナンパにいくわい!」
キャロットの答えに、またマロンがくすくすと笑う。キャロットはちょっとむっとした表情をしたが、その表情がすぐに苦笑いに変わる。
「マロン」
「何?」
「ちょっとここ座れ」
ぺしぺし、とキャロットが自分の隣を右手で軽く叩いた。……自分の隣に座らせたいとき、必ずキャロットは手でそこを二回叩く。……それが、昔アプリコットがしていた癖だと、気がついているのかいないのか。おそらくは、アプリコットの癖だったなどとは覚えていないだろう。そしてまた、いつからそうするようになったのかも。
呼ばれたマロンの方は、少しためらった表情をしたが、素直に隣に座る。
そのまましばらく、二人とも沈黙してしまった。何だか落ち着かない気分になって、マロンがキャロットの表情を伺う。その気配に気付いて、ようやくキャロットが口を開いた。
「あのよ……」
「何?」
即座に返答されると、何か言いにくい。照れくさがっているような間柄ではないはずなのだが。
もしかしたら、普段わかりすぎるくらいに互いのことを良くわかっていて、言葉というものがほとんど必要ないから……改めて言葉にしようとすると照れくさいのかもしれない。
「あのよ……」
それでも、意を決してキャロットは言葉を続けた。
「お前……、一人でぐるぐる考えてんなよな」
「……!」
「一応……ここに、いるんだからよ」
『一人ではない』という力は、辛さや恐さや痛みを半減することができる。暗闇に灯された、ランプの灯りのような暖かい力。
「……ごめん」
小さく、マロンが微笑みながら答える。兄が自分を心配してくれたことが嬉しかった。それだけでもう、悩んでいたことなど何処かへ飛んでいってしまう。
「謝ってんじゃねえよ!」
いきなりキャロットがにっ! と笑って、両手をマロンに向かって伸ばす。
「馬鹿やってた罰じゃ! こーしてくれる!」
「ちょっ、ちょっと兄さんっ 」
マロンが珍しく慌てた顔をした。キャロットがいきなり、マロンを擽り出したのだ。
「ちょっ……にっ……さんっ、止めてってば……あは……ははっ!」
必死に笑いをこらえつつ、キャロットを引き離そうとして……バランスを崩し、二人そろって水の中に落ちてしまう。ばしゃっ! と水しぶきが上がった。
「……」
「……」
思わず全身濡れ鼠になって、お互いの顔を眺めた。水は本当に浅く、三センチ位しかなかった。
「……」
「……」
吹き出したのはどちらが先だったか。ほどなく、二人は声を上げて笑い出した。夜中だというのも失念してしまっている。ただ可笑しかった。
「ば……馬ー鹿!」
「お互い様だよ」
マロンがこんなに、声を出して笑っているのも珍しい光景だ。 やがてどちらからともなく、笑い声が止まる。落ち着くとなんだか、言葉も出てこない。
「兄さん……」
ややあってマロンが、キャロットの方に四つん這いのまま寄ってくる。互いの吐息が聞こえるほど近くにまで寄ってきて、にこりと微笑んだ。
「ありがとう、兄さん」
「礼なんか言うなよ。……照れくせえ」
「うん……」
そっとマロンが、顔を近づけた。……そのまま、やんわりと唇を重ねる。……重ねただけの、優しいキス。 思わず真赤になってしまうキャロットに、マロンが再び微笑みかける。
「いいよね?」
「こんなとこでかよ?!」
「……花の香に、酔ったみたいなんだ」
「……酔っ払い」
苦笑いしながら呟くキャロットに、更に優しくくちづける。
半開きの唇から、軽く閉じられている歯列を割り、奥で怯えたように縮こまっている舌を絡め取る。口中を愛撫しながらきつく吸い上げると、キャロットが息苦しそうな顔をした。それでも唇を開放せずに、マロンの右手がキャロットのタンクトップの中に滑り込んでくる。
しなやかで華奢な、薄い胸。マロンの手がゆっくりと上へ撫で上げ、まさぐりながらタンクトップを捲り上げていく。キャロットが左手で、動き回るマロンの右手を捕まえた。
そこでようやく唇を開放され、キャロットが大きく息を吐く。頭の後ろがジンと痺れるような、そんな感覚がキャロットを捕えた。
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