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荷物を何度も抱えなおしながら、キャロットは家への道を走っていた。アプリコットからお使いを頼まれたのだが、途中で仲の悪い子供につっかかられて、撃退しているうちに遅くなってしまったのだ。
「だーっ、遅くなっちまったっ」
キャロットは本気で焦りまくっている。アプリコットのおしおきは半端じゃないのだ……。
川の脇の道は、あんまり人が通らないので荒れているが、擦傷を気にしなければ遥かに早く帰れる。迷わずその道を選択して、キャロットは茂みを突っ切った。
川とほとんど平行するように続く道は、なだらかな坂になっている。転ばないようにスピードを緩めながら走っていくと、崖の上に出る。そんなに高さはなく、そこを降りるとすぐに川原に出る場所だ。その崖に沿って進めば、キャロットの家の裏側に出る。
「うん?」
不意に、キャロットは前方に人影を発見した。どうやら老人のようだ。村で時々見掛ける。真っ白な髪を後ろで縛っているので、キャロットは覚えていたのだ。茂みから、川の方を覗いている。
ふと、老人が顔を上げた。キャロットを見つけると、穏和に微笑んで、こいこい、と手招きする。
「……俺?」
思わずあたりを見回してから、キャロットは老人に近付いた。
……キャロットは老人に弱い。マロンが生れたばかりの時、しょっちゅう体調をくずしていたので、アプリコットの手が回らず、祖父母に面倒を見てもらっていたことがある。その祖父母が、とてもキャロットを可愛がってくれたので、どうも老人は敬愛の対象と、意識下に刷り込まれてしまったらしい。
「何か用?」
「坊、いいものを見せてやる」
「……いいもの……?」
なんだろう、とキャロットが考えるより先に、老人はキャロットをひょいっ、と抱え上げた。
「え」
驚く暇もあればこそ。老人は、キャロットを茂みの向こう……更に言えば崖下に、放り投げてしまったのだ。
「うわーっっっ!」
思わず叫びつつ、ごろごろと崖を転がり落ちる。それでたいした怪我がないのは、老人の投げ方が上手いのか、キャロットが丈夫だからか。たぶん両方だろうが、とにかくキャロットは数秒後には崖下にいた。
「ててっ……、な、何すんだじいさんっ!」
思わず崖の上を見上げ、叫びかけたキャロットの声に、何故か甲高い悲鳴が重なる。
「へ?」
キャロットは川の方を振り向いて、ぎょっとした。何人かの女性が、川で水浴びをしていたのだ!
このころ、意外にもまだ純情気分を残している(!)キャロットの顔が、一瞬にして真っ赤になる。
「きゃああああ!」
女性が更に悲鳴を上げて、手当たり次第に物を投げ付ける。川で転がっている物といったら、それは石ばかり……キャロットは慌てて逃げ出した。
崖を逆に駆け登り、元の場所に出る。だが、あの老人はすでに姿を消していた。
「なんなんだいったい……」
呟いて、はっと自分の状況を思い出し、キャロットは駆け出した。もちろん、キャロットを家で待っていたのは、アプリコットのお説教であった訳だが。
ひとしきりの説教の後、キャロットはマロンと共に二階にあがっていた。二階が子供達の部屋で、キャロットとマロン、ティラとショコラがそれぞれ一部屋ずつ使っている。
姉妹はまだ帰ってきていなかった。ショコラは日が暮れる頃まで、林の中で針金の訓練に励んでいる。ティラもおそらく、それにつきあっているのだろう。……見ているだけだが。
「大丈夫、兄さん?」
崖を転がり落ちる際と、茂みを突っ切った為に造った擦傷切傷に、マロンが薬を塗ってくれている。いちいちおおげさに、キャロットが顔をしかめた。
「しみっ、染みるって!」
「あ、ごめんなさい」
馴れているので、マロンも『ごめんなさい』と言いながら、どんどん薬を塗ってしまう。
「でも、そのおじいさん誰なんだろうね」
「知らねぇよ! 時々見かける顔だけどな……」
老人に遊ばれたような気がして、キャロットはほんの少しむっとしている。それでも、本気で怒れないのは相手が老人だからであろう。
「ただいま」
階下でオニオンの声がしている。今帰ってきたのだろう。別の人間の声もした。
「お客様だね」
「……そういや、おふくろ何か言ってなかったっけ?」
「……忘れたの、兄さん? 兄さんに剣を教えてくれる人が来るって言ってたでしょ」
「ああっ、忘れてた!」
あからさまに嫌そうな表情を造って、キャロットがベッドに転がった。 キャロットに生まれつき備わった力は、魔法をすべて吸収する『吸魔』、それによって引き起こされる『魔獣化』、この二つである。魔獣化後は意識がふっとぶとはいえ、魔法を使う法族には、まさに天敵とも言える能力だ。
だが、魔獣化する前は普通の人間とかわらない。相手が確実に魔法を使ってくれるとは限らない。そんな時の為、自分の身を守るくらいの技が必要ではないか。アプリコットとオニオンは、相談の末、無難なところで剣でも習わせておこう、という結論に達したのであった。
「キャロット! いらっしゃい!」
階段のところで、アプリコットが呼んでいる。さっさと行かないとまた怒られるので、キャロットはベッドから飛び降りた。マロンがゆっくりと後からついていく。
階段を降りて、アプリコットがドアの前で待っているところに駆け寄る。
「グリーン・ティーさんよ。御挨拶しなさい」
はい、と素直に答えて部屋に入る。
「こんにちは」
ぺこりと頭を下げてからキャロットは、はっとしてがばっ、と頭を上げた。
「あの時のとんでもねぇじいさん!」
思わず叫んだ頭を、アプリコットがぺしっ、と叩く。
オニオンの隣でにこにこと笑っていたのは、先ほどキャロットを崖下に放り投げたあの老人だった。
「ほお、お前さんがオニオン坊の息子だったのか。…… 『いいもの』見られただろう?」
老人が穏和な微笑みを崩さないで言う。「『坊』はやめてくださいよ、グリーンさん」オニオンが苦笑した。オニオンが『坊や』なら、キャロットは孫みたいなものだろう。 グリーンがキャロットに近付いてきて、腰を屈めてキャロットの顔を覗き込む。さっきのことが引っ掛かっているキャロットは、思わずそっぽを向いてしまった。……が、その行動をグリーンがどう思ったかと気になって、そーっと視線を戻す。
グリーンは、にこにこと微笑んだまま、キャロットがこちらを向くのを待っていた。思わず視線があって、キャロットがどういう訳だかどぎまぎしてしまう。
ぽん、と老人がキャロットの頭に手を乗せる。
「よろしくな」
「……うん」
こくり、と頷く頭を、グリーンがくしゃくしゃと撫でた。さっきの出来事などすっかり忘れた顔で、キャロットが笑った。……この人は嫌いじゃない、と思ったのだ。
「明日から、わしの家に来なさい」
そう言って、グリーンはキャロットから手を放した。
「キャロット、上に行ってなさいね」
「はーい」
微笑むアプリコットに促され、キャロットは部屋を出た。扉の所で部屋を覗いていたマロンを引っ張って、二階に上がる。
「優しそうなおじいさんだね」
「どうだか……、俺を放り投げたんだぞ」
そんなことを言いながら、それでもキャロットがなんとなく嬉しそうなのを、マロンは気付かないふりをして、こっそりと微笑んだ。
「あの子が運命の子の一人、か」
グリーン達は、キャロットとマロンがいなくなってから、先ほどの穏和な雰囲気をどこかへ押しやり、真剣な表情で話を始めた。
「……運命と言う言葉は、嫌いだわ」
アプリコットが、ぽつりと呟く。一瞬言葉がとぎれ、沈黙が訪れる。
「でも……いい子に育てたな、お前さん達」
「グリーンさん……」
不意にそんなことを言い出すグリーンに、二人が驚いた表情をする。
「さっき、一度そっぽをむいてからこっちを向いた。……わしがどんな気持ちになるか、気になったんだろうな。……優しい、いい子だ」
オニオンが、何だか照れたような表情で、頬をぽりぽりと人差し指でひっかく。アプリコットは何も言わなかった。
「優しさを知っているというのは、法族狩りとして重要な資質だよ。法族狩りには、非情さが求められる……だが、優しさを知らない非情さは、残酷にしかならない」
グリーンの考えは、里では小数派だ。里には『力こそ正義』と考える者が多く、精神面を重要視しない傾向がある。
「さて、そろそろ帰るとしようか……」
「よろしくお願いしますわ」
帰ろうとするグリーンに、アプリコットが頭を下げた。
次の日、アプリコットに道を教わって、キャロットは村の外れのグリーンの家を訪ねていた。グリーンは一人暮らしで、家族はいないのだという。
「こんにちはっ、……えっと、お、おし、お師匠さ、ま」
「……口が回らないみたいだな」
普段、あまり丁寧な言葉を使っているとは言えないキャロットである。『お師匠様』と素直に口が回らない。 ぽん、とグリーンがキャロットの頭に手を乗せる。キャロットはびっくりして、思わず目をつぶって肩をすくめた。
「呼びやすいように呼びなさい。『じじい』でも構わないよ」
「……」
一瞬、ぽかんとしてしまうキャロットだった。
どちらにしても、『じじい』ではあんまりだし、こんなに歳が離れていると『グリーンさん』でもしっくりこないので、『お師さん』と呼ぶことになった。
「ま、のんびりやろうな」
何か言う度に、グリーンはキャロットの頭にぽん、と手を乗せる。その手がとても優しい気がして、なんとなく気持ちがいい。
「さて、最初はこっちにおいで」
老人とは思えない足取りで、グリーンが家の奥へと歩いていく。キャロットもその後に続いた。
地下へと続く階段を降りると倉庫になっている部屋がある。グリーンがランプに火を入れた。
「うわあ……」
思わずキャロットがぽかん、と口を開ける。部屋の中には、剣がまさにざくざくという感じで置いてあったのだ。
「全部錆びてるからな。手入れの仕方から始めよう」
「はあ……」
ぽかんとしたまま、キャロットがきょろきょろと部屋を見回した。何本あるのか数えようとしたが、三十本まで数えたところで挫折した。
「ゆっくりやろうな」
ぽん、とグリーンがキャロットの頭に手を乗せる。
「はいっ」
嬉しそうな表情を隠そうともせず、キャロットが頷いた。
こんな調子で、のんびりと二人の『修業』は始まった。とにかく、とんでもない数の錆びた剣を研ぎ直すのが最初の仕事で、それだけで二カ月以上もかかるはめになった。なんでこんなに錆びた剣をため込んでいるのか、それがすでに謎だったが、さしてキャロットは気にしなかった。
錆を落とし、研ぎ直し、磨き上げる……それで剣が元の状態に戻るのが、なんだか面白かったと言うこともあるが、作業を続けながらのグリーンの話が、妙に楽しかったと言うことが主な理由だろう。
グリーンはのんびりと、いろんな話をしてくれた。引退はしているが、元法族狩りである。仕事の時は大陸中を旅していたのだ。
一度、破壊神の神話も話してくれたことがある。だが、たった一度のことだったし、他に聞かされたたくさんの話に押し流されて、キャロットの記憶にはほとんど残らなかった。グリーンが憶えていることを期待して話したかどうか、それも疑問だ。
修業の始まりは、夏のことだった。剣をほとんど磨き上げた頃には、秋になっていた。
その日は朝から涼しかった。相変わらず剣の手入れを続けているキャロットを横に、グリーンは窓から外を眺めていた。
「キャロ」
「はいっ?」
呼ばれて、キャロットが顔を上げる。グリーンが穏和に微笑んで、椅子から立ち上がる。
「一休みがわりに、薪を拾いに行こうか」
「! はいっ」
時々、グリーンは「一休みのかわり」と言ってキャロットを散歩に連れていく。場所は森の中だったり、山の方だったりするが、時には散歩の途中で日が暮れる。そういう時は野宿の仕方も教わったりしていた。オニオン達もそのへんはグリーンを信頼していて、遅くなろうが、一晩帰ってこなかろうが気にしなかった。かえって、子供達の方が不満な顔をしている。もしかしたらグリーンは、散歩と称する学習の場を造っていたのかもしれない。
その日は、「薪拾い」というはっきりした目的があったので、散歩の目的地は山の方の森だった。ロープなど、多少の荷物を持って、二人はグリーンの家を出た。
目的地に着いたのは、夕方だった。そのうち日が暮れて、野宿することになるだろう。荷物の中に携帯の食料が入っているのはそのためだ。
「今晩使う分の薪は別にしておきなさい」
拾い集めた薪をロープでくくりながら、グリーンがキャロットに声をかける。
「いけねぇ、全部しばっちまった!」
呑気な返事が返ってくる。
「も一回、拾ってくるよ、お師さん!」
言うが早いか、キャロットは再び薪を拾いに出た。 その間に、グリーンが今晩休むための場所を確保し、火をたくためのかまどを造る。ところが、キャロットがいつまでたっても戻ってこない。
さすがに心配になり、グリーンはキャロットが歩いていった方向に歩き出した。
「? キャロ?」
不意に、笑い声を聞いて、グリーンは訝しんだ。こんな山の中で、何を笑っているのだろう?
よく聞くと、誰かと話しているような声もする。だが、相手の声は聞こえない。グリーンは声のする方へ進み、茂みをかきわけた。
「キャロ?」
「あっ、お師さん!」
地面に座り込んでいるキャロットが、笑顔で振り返る。だが、グリーンは一瞬硬直した。キャロットの側に、銀色の影がある……狼だった。かなり大きい。
「キャロ!」
いきなり真剣な表情になるグリーンに、今度はキャロットの方が不思議そうな顔をする。今までおとなしかった狼が、グリーンを睨んで唸り声を上げた。
「? お、おい……怖くないよ、俺のお師さんだから」
身構えるような体制になる狼を、キャロットが抑える。その時初めてグリーンは、狼がキャロットには敵意を持っていないことに気付いた。
野生の狼を手なづける、などということが可能だろうか。だが現実に、狼はキャロットを襲っていない。困ったような表情をしているキャロットの顔を眺めると、身を翻して森の奥へと消えてしまった。
「キャロ……」
ほっ、と息を吐いて、グリーンがキャロットに近付く。キャロットが慌てて立ち上がった。
「ごめんねお師さん、遅くなった」
「いや……怪我はないか?」
「うん。……あ、あいつは何にもしないよ! トモダチになったから」
「ほお、友達か」
「うん。名前つけたんだ、『ルナ』って」
「メスか」
「うん、女の子」
にっこりと笑うキャロットの頭を、グリーンがくしゃくしゃと撫でる。
「ご飯にしような」
「はいっ!」
嬉しそうに答えるキャロットを見ながら、グリーンは内心驚いていた。 人間の才能の中に、『野生動物の信頼を得る』という才能が数えられるとしたら、キャロットのその才能は飛び抜けている。邪気がないから、では片付けられないだろう。
……もしも、人間ではわからない『何か』を野生動物が感じるのだとしたら?
それでもいいさ、とグリーンは考えることにした。彼らが何かを感じるのだとしても、先ほどの狼がそうであったように、それは友好的な方向に働いている。それ自体がキャロットに害を及ぼすことはないだろう。
火をおこし、簡単な食事をすませると、疲れたのかキャロットはすぐに眠り込んでしまった。薪を新たに火にくべながら、グリーンはしばらく眠ってしまったキャロットの顔を見ていた。
無邪気な表情が微笑ましいと思う。そう思うと余計に、グリーンは少しやるせない気持ちにもなるのだ……無邪気な子供が、いずれ向き合うであろう運命のことを思って。
ふと、がさ……という茂みが動く音を聞き、グリーンがはっとする。現れたのは、あの狼だった。
敵意がないことははっきりしている。向うもそれを認めているのであろう。先ほどのように唸り声を上げることもない。だが、グリーンが少しでも動けば、途端に身構えるだろう。それが野生動物というものだ。
狼はそのまま、数秒グリーンのことを見ていたが、口にくわえていたものを下に置くと、再び茂みの向うに姿を消した。……置いていったのは葡萄に似た果物だ。キャロットのために持ってきたのだろう。
最後の薪をくべてしまってから、グリーンも横になった。が、ふと胸に苦しさを覚え、ポケットから薬を取り出した。
薬を呑み込みながら、ふとグリーンは考える。たぶん、たいして先のない自分が、どれほどのことをこの子に残してあげられるだろうか、と。
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